OFF NOTES SPECIAL FEATURE NO. 004 100KM WALK — YUGAWARA → NIHONBASHI

OFF NOTES SPECIAL FEATURE / 100KM WALK

100キロを、歩いた。

湯河原から日本橋まで、国道1号を101キロ。ひとりで、28時間18分

100キロウォークというのは、100キロをまとめて歩ききる遊びだ。

だいたい丸一日かかる。日本各地に大会があって、湯河原から川崎まで歩く「湯渡し100」や、小田原から有明まで歩く「東京エクストリームウォーク100」あたりが有名なほうだと思う。走らない。ずっと歩く。それだけの競技だ。

僕がこれを知ったのは、ウォーキングにはまっていた時期だった。

きっかけはダイエットで、都内の移動をなるべく徒歩に置き換えていたら、一日3時間・15キロ歩くのが当たり前になっていた。BMIは23から18.3まで落ちて、痩せる必要が無くなってもやめられなくなった。家にいるときも、次はどこを歩くか、靴はどれがいいかを調べていた。完全に趣味だった。

その延長で、100キロという単位があることを知った。毎日15キロ歩ける体で、一日でどこまで行けるのか。単純に、それが知りたくなった。

大会に出るのが早いのだけれど、当時の僕が出られる範囲に、ちょうどいい日程のものが見つからなかった。それで、自分でコースを引くことにした。

地図で国道1号をたどっていったら、湯河原から日本橋までがちょうど100キロだった。それだけの理由で、行き先が決まった。

準備らしい準備はしていない。2年間毎日15キロ歩いていたこと自体が練習だったし、当日のために足したのは一つだけで、前日は歩くのを休んで12時間寝た。

2017年12月11日、朝6時に起きて、9時半に湯河原駅に着いた。

0KM — YUGAWARA 10:00

湯河原、10時00分。海と山しかない(0km/スタート)

出発直前、湯河原に向かう電車の座席の下に財布を落とした。気づいたときには降りたあとで、慌てて戻って座席の下から拾った。まだ一歩も歩いていない。

10時ちょうど、湯河原駅を出た。天気は快晴。体はなんともない。

歩きはじめてすぐ、これは散歩じゃないなと思った。左手に海、右手に山。国道を歩いているだけなのに景色が旅になる。

ただし歩道は狭い。枝が張り出していて、避けると車道側に出る。車はけっこうな速度で来る。景色は良いが、のんびりはできない区間だった。

朝の国道135号。ガードレールの向こうに海が光っている。
国道135号。左手はずっと海だった。
山あいの谷にかかる赤い鉄橋。
山を切った谷に、赤い鉄橋がかかっている。
17KM — ODAWARA 13:30

小田原、13時30分。ここまでは計画どおりだった(17km/3時間30分)

3時間半で小田原に着いた。

ここで薄皮あんぱんの専門店を見つけて、桜の白あんを買った。店の人と話しながら写真を撮らせてもらった。少し先にはどら焼きの専門店があって、バターの入ったものを買った。

まだ完全にピクニックだった。100キロを歩いている自覚がほとんど無い。ちなみにこの17キロだけは、計画と同じ時刻に通過している。誤差ゼロ。計画が当たるのは、だいたいここまでだ。

小田原・柳屋の店先。うす皮あんぱんの暖簾がかかっている。
柳屋の暖簾。「相州小田原 筋違橋 うす皮あんぱん」。
どらやき屋 菜の花の店先。鬼の面が飾られている。
どらやき屋 菜の花。鬼の面が出迎えてくる。
33KM — OISO 夕方

大磯、夕方。33キロ歩いて、まだ3分の1(33km/約7時間)

小田原を出たあたりから雲が出て、足が痛みはじめた。道中で食べたクリームドーナツは、味というより回復薬に近い。

大磯に着いたのは夕方。計画では17時ちょうどに着いてゆっくりするはずだったが、実際に何時だったのかはメモに残っていない。駅前にはスタバも開いているパン屋も無く、コンビニでバナナを一本だけ買って、座らずに歩き続けた。

歩きながら手に持ったクリームドーナツ。
クリームドーナツ。歩いているときの甘いものは、回復薬に近い。

ここで数字を数えてしまったのが良くなかった。33キロは、東京から横浜までとだいたい同じ距離だ。それを歩いてきて、まだ3分の1。残りは67キロある。

素直に、絶望した。

INTO THE NIGHT 33km → 50km

夜に入る。12月の国道1号と、湘南クッキーの自販機(約40km/9時間)

8時間を過ぎたところで日が暮れた。ニット帽とネックウォーマーとフリースを出して着込む。12月の夜だった。

標識が34キロを指していた。山手線を一周してもだいたい同じくらいだけれど、あれは途中で何度も座って歩く距離だ。ここまで一度も、まともに座っていない。

夜の国道1号の距離標識。「日本橋まで 66km」と書かれている。
国道1号の標識。日本橋まで、まだ66キロ。

平塚を抜け、相模川を渡って茅ヶ崎へ。温泉の看板があって、心底入りたかったが通り過ぎた。

このあたりで気づいたのだが、沿道にクッキーの自販機が異様に多い。「湘南クッキー」という名前で、何台も何台も出てくる。何なんだあれは。結局買わなかったけれど、夜中にあれを買っている人のことを、しばらく考えながら歩いた。

夜道に光る湘南クッキーの自動販売機。
湘南クッキーの自販機。沿道に、なぜかいくつもある。

道路工事も多く、歩道が細くなっては何度か迂回させられた。体のほうは、小指と腰が本格的に痛くなってきた。膝とふくらはぎがまったく平気なのが不思議だった。

50KM — FUJISAWA 23:10 発

藤沢、23時10分発。中間地点のあと、1時間で1キロしか進まなかった(50km)

藤沢。ちょうど半分の50キロ

ロイヤルホスト藤沢本町店に入って、ポルチーニのパスタとパンを頼んだ。ふくらはぎと腰にサロンパスを貼る。スマホのバッテリーもここで充電した。1時間30分休んで、23時10分に出発。ここから横浜まで一気に行って、残り30キロを楽に流そう——という計画だった。

その計画は、10分ももたなかった。

藤沢バイパスの境川にかかる橋が、工事で通れなかった。周辺の橋も道も工事中で、Googleマップが示す道は、行ってみると全部ふさがっている。

街灯の無い砂利道を、スマホの明かりだけで歩いた。1時間かけて、1キロしか進まなかった。

この28時間でいちばん高くついた失敗が、これだと思う。ヘッドライトを持っていなかった。国道には街灯があるから要らないだろうと考えていて、工事で国道から追い出されることを計画に入れていなかった。

戸塚駅にたどり着いたのは深夜1時20分。コンビニで買ったココアが、異様にうまかった。そのあと月がきれいだなと思ったので、たぶんもう普通の精神状態ではなかった。

深夜の道路脇の看板。「ここは歩行できません 国土交通省」と書かれている。
「ここは歩行できません」。深夜に、これを何度も見た。
深夜のパン工場。建物の中だけに明かりが灯っている。
深夜のパン工場。中だけが明るい。
70KM — YOKOHAMA 翌 06:00 発

横浜、明け方5時ごろ。マクドナルドで崩れる(70km/19時間)

深夜3時。小指と腰の痛みがはっきり悪化して、速度が目に見えて落ちていた。

このとき僕がどこにいたかというと、保土ヶ谷にすら着いていなかった。計画では、この時刻にはとっくに横浜を過ぎて、川崎に着いているはずだった。どんだけ甘い見積もりだったのか、と当時のメモに書いてある。

横浜にたどり着いたのは、明け方だった。マクドナルドを見つけて、崩れ落ちるように座った。

ここが精神的にも肉体的にもいちばん悪かった。膝とふくらはぎは相変わらず無事なのに、小指と腰だけが致命的に痛い。1時間座って、足を伸ばして、朝6時に横浜を出た。計画では、この時刻にはもう日本橋にいるはずだった。

85KM — KAWASAKI 翌 08:00

川崎から蒲田へ。小指のマメをハサミで潰す(85km/22〜24時間)

朝8時、川崎市に入った。なか卯でうどんを食べる。座りすぎないように、さっと出る。

朝9時、多摩川を渡って東京都へ。歩きはじめて、ちょうど23時間が経っていた。23時間も歩いて、僕は何をやっているんだろう、と思った。

朝の空の下の「川崎市 川崎区」の標識。
川崎市。夜が明けていた。
多摩川を渡った先の東京都大田区の標識。空にカモメが飛んでいる。
東京都に入った。多摩川を渡ったところ。

9時49分、蒲田。ほぼ24時間。速度は時速4kmを切っていた。

タリーズに入って靴下を脱いだら、左足の小指の第一関節に、でかいマメができていた。ハサミで潰して水を抜いた。昔サッカーをやっていたので、この処置には慣れている。

マメの記事はたいてい「できないようにする方法」で終わるので、そのあとを書いておくと、潰して水を抜いて、靴下を替えて、足首にテーピングをして、そこから16キロ歩いた。悪化はしなかった。

もちろん自己流だ。ただ、あの時点でいちばん怖かったのは痛みそのものではなく、痛みで歩き方が崩れて別のところを壊すことだった。だから潰した。

※ このやり方は自己流です。真似する前に、ちゃんとした情報を確認してください。

体を点検してみると、致命傷は無かった。2年間毎日15キロ歩いてきた土台が効いている。

問題は体ではなかった。歩くのに飽きてきていた。景色は代わり映えせず、店は閉まっていて、やることが何も無い。24時間を超えたあたりから、体より先に心が削れていく。100キロを終わらせるのは、たぶん痛みではなくてこの退屈だ。

GOAL — NIHONBASHI 翌 14:18

品川、銀座、日本橋。28時間18分でゴール(101km)

12時44分、品川。ここまで来ると完全に知っている街で、コンビニもカフェもいくらでもある。湯河原発にして本当に良かったと、この区間で何度も思った。

浜松町のあたりで、前を歩いているおばあさんに追いつけなくなった。同じ速度で、しばらく後ろを歩いた。泣きそうになった。

銀座に入ると、もう地元だった。東京駅が見える。見えているのに、遠い。

14時18分、日本橋。

出発から28時間18分。101キロ。スターバックスの椅子に崩れ落ちて、普段は頼まない甘いラテを頼んだ。疲れた体に、砂糖がそのまま染みていった。

01 / AFTER THE WALK

歩き終えて分かったこと

ここから先は、28時間かけて分かったこと。次に歩く人の役に立つのは、たぶん物語のほうではなくこっちだと思う。

02 / PLAN VS ACTUAL

100キロは何時間かかるのか— 地図の見積もりは、前半しか当たらない

歩く前に、Googleマイマップでルートを引いて、区間ごとの見積もり時間をメモしてあった。全部が時速4.8kmの計算で、100キロなら20時間50分。10時に出れば、翌朝6時53分には日本橋にいるはずだった。

実際は14時18分。計画より7時間25分、遅れている。面白いのは、遅れ方に構造があることだ。

計画と実際のダイヤグラム(横軸が時刻、縦軸が距離) 湯河原から日本橋までの101kmについて、計画の線と実際の線を時刻と距離のダイヤグラムで比較した図。17km地点の小田原までは2本の線がぴったり重なっていて、誤差ゼロ。大磯の通過時刻は記録が無いため、この区間は点線でつないである。藤沢を23時10分に出たあとの区間で一段大きく遅れ、以後その差は縮まらないまま、日本橋では計画の翌6時53分に対して実際は翌14時18分、7時間25分の差になる。 12月の夜 10:00 16:00 22:00 翌4:00 翌10:00 湯河原 小田原 大磯 藤沢 横浜 川崎 日本橋 0km 17km 33km 50km 70km 85km 101km 記録なし 17kmまで、誤差ゼロ 藤沢の先で、一段落ちた 落ちた速度は、戻らない 計画 翌6:53 実際 翌14:18 +7時間25分
横軸が時刻、縦軸が距離。17kmの小田原まで、2本の線はぴったり重なっている。実際の線は記録に残っている数字だけで引いた。藤沢と横浜は到着時刻をメモしていないので、確実な出発時刻のほうを取り、大磯は記録が無いので点を白抜きにして点線でつないである。
03 / ROUTE DESIGN

ルートの設計— なぜ湯河原発なのか

100キロで効くのは、脚力よりどっち向きに歩くかだと思っている。

逆向きに歩いてはいけない

このルートは、必ず湯河原から東京に向かって歩いたほうがいい。

湯河原側の国道135号は歩道が狭く、枝が張り出していて、コンビニがほとんど無い。逆向きにすると、80キロ以上歩いて消耗しきった体で、暗くて狭くて店の無い道に入ることになる。

後半が東京側になるのも大きい。いちばんつらい時間帯に、いちばん親切な道を歩ける。これは意図して設計する価値がある。

04 / FUEL

補給の設計— 100キロを、コンビニだけで1時間200kcalで回す

いちばん設計らしい設計をしたのが補給だった。歩行1時間あたり200kcalを入れると決めて出て、この数字でちょうど良かった。ハンガーノックのような状態には一度もならなかった。

中身はほとんど一本満足バーとウイダーinゼリーで足りる。コンビニで買えて、歩きながら食べられて、胃にもたれない。これが分かっていれば、食事のためにわざわざ座る必要が無くなる。

実際に28時間で食べたものは、こうだった。

手に持った一本満足バー シリアルホワイト。
一本満足バー シリアルホワイト。25時間これで持たせた。
  • 小田原の薄皮あんぱん(桜の白あん)
  • 小田原のどら焼き(バター入り)
  • クリームドーナツ
  • コンビニのバナナ
  • ロイヤルホストのポルチーニのパスタとパン
  • コンビニのココア
  • なか卯のうどん
  • 一本満足バー、ウイダーinゼリー(随時)

失敗はひとつ。深夜のラグーソースのパスタで、油と肉の重いものは疲れた胃に入らない。深夜に食べるなら、うどんのほうが正解だった。

水はコンビニで見かけるたびに買った。12月だったこともあって脱水の気配は無かったが、夏なら話がまったく違うと思う。

05 / REST

休憩は、少ないほうがいい3時間20分の内訳

反直感的だと思うのだけれど、休憩は少ないほうが楽だった。座ると筋肉が固まるからで、10分座って立ち上がると、座る前より確実に歩きにくくなっている。休んだぶん回復するのではなく、休んだぶん再始動が重くなる。

藤沢 50kmロイヤルホスト

90分長すぎた

横浜 70kmマクドナルド

60分必要だったのはここだけ

蒲田 85kmタリーズ

30分

そのほか細かい立ち止まり

約20分

このうち本当に必要だったのは、横浜の60分だけだったと思う。藤沢の90分は長すぎた。あそこで脚が固まって、そのあとの工事の迷子と重なって、深夜がいちばんつらい時間になった。

06 / GEAR

装備

荷物は少ないほうがいい。持っていったのは、これで全部だ。

IN THE BAG

持ちもの

  • 500mlの水
  • カロリーメイト、ウイダーinゼリー
  • 薬とばんそうこうのポーチ
  • 替えの下着
  • モバイルバッテリー
  • ティッシュ

WEAR — DEC. NIGHT

服装 — 12月の夜を歩く前提

  • ナイキのシューズ (普通のランニング用)
  • ナイキの上下
  • ニット帽、ネックウォーマー
  • ユニクロのヒートテック、フリース、シャツ
  • サポートスパッツ

出発前、ノートPCを持って途中でブログを書こうかと本気で考えて、やめた。絶対に正解だった。歩き終わったあとの僕に、文章を書く体力は一グラムも残っていなかった。

サポートスパッツは効いた。膝とふくらはぎが最後まで無事だったのは、たぶんこれと、日頃の15キロのおかげだ。

07 / 2017 → 2026

2017年の記録を、いま読む人へ

歩いたのは2017年12月11日から12日。この記事を書き直しているのは2026年で、9年経っている。そのまま真似できることと、確認したほうがいいことを分けておく。

変わらないこと

体の反応は変わらない。1時間200kcalの補給設計も、座ると筋肉が固まることも、24時間を超えると心が先に折れることも、9年では変わらない。

ルートの向き——湯河原発にして、消耗する後半を東京側に持ってくること——も、道路の作りが変わらないかぎり有効だ。あとで触れる二つの大会も、どちらも同じ向きに歩く。

変わったかもしれないこと

沿道の店は確実に変わっている。ロイヤルホストも、なか卯も、あの小田原のあんぱん屋も、いま同じ場所にあるかは分からない。工事の状況も歩道の整備も違うはずだ。

沿道の情報は、この記事を地図として使わないでほしい。28時間の中身のほうを持ち帰ってもらえるとうれしい。

そして、この道に100キロの大会ができた— 湯渡し100と東京エクストリームウォーク100

書き直すにあたって調べていて、いちばん驚いたのがこれだった。

2025年3月、湯河原から歩く100キロの大会ができていた。湯渡し100」。湯河原をスタートして川崎の元住吉まで100キロを歩く。さらに「東京エクストリームウォーク100」は小田原から有明まで約100キロを歩く。コースは、僕が歩いた道の17キロ地点から先とほとんど重なっている。

念のため書いておくと、僕はどちらの大会にも出ていない。歩いた2017年には、まだ存在していなかった。

大会にはエイドがあって、交通の誘導があって、リタイアしたら回収してもらえる。そのかわりスタート時刻も休む場所も選べない。僕が歩いたほうには、エイドは無いかわりにコンビニがあって、制限時間が無いかわりに誰も待っていてくれなかった。同じ道に、二通りの歩き方があるというだけの話だと思う。

コースが無いから、自分で線を引いた。その上を、8年後に何百人も歩いている。線はちゃんとそこにあったんだな、と思った。

08 / PASSAGE LOG

区間ごとの通過記録

歩いた記録を、最後にまとめておく。残っている通過時刻はこうだった。

PASSAGE LOG — YUGAWARA → NIHONBASHI, 101KM
通過時刻地点積算距離経過
湯河原駅 出発0km
小田原17km3時間30分
夕方大磯33km約7時間
藤沢(中間地点)50kmロイヤルホストで1時間30分休憩
戸塚工事の迂回で1時間ロス
(保土ヶ谷にまだ着いていない)約64km未満17時間
横浜 出発70kmマクドナルドで1時間休憩
川崎市に入る22時間
東京都に入る(多摩川)23時間
蒲田タリーズで30分休憩
品川
日本橋 到着101km28時間18分

2017年の記録なので、通過時刻をメモしていない地点がある。大磯と藤沢の到着時刻がそれで、ここは空けてある。書ける数字だけを並べた。

09 / SUMMARY

まとめ— 100キロを一人で歩くと、何時間かかるのか

28時間。実歩行25時間、休憩3時間20分、平均時速4km。それが僕の答えだ。

歩き切って分かったのは、100キロは脚力の問題ではないということだった。膝もふくらはぎも最後まで無事で、壊れたのは小指と腰と、あとは気持ちだ。効くのは当日の根性ではなくて、それまでの毎日だと思う。

道はどこにでもある。
どこへでも行けるし、どこでも歩ける。

101KM — 28H 18M — ON FOOT, ALONE